信じること
かすみがうらマラソン中止連絡をうけて、故障の治療に専念を決意。
といっても単純に負荷を落としているだけ。
痛みがあるときは走らずストレッチやウォーキングを中心に。
最近は色んなところを歩いている。
土曜日は5kmくらい走ってみたが、「痛い」という感覚が残っている。
こうなると片足を庇うために左右のバランスが崩れる。
なんとか脳の痛みを感じる感覚を麻痺させたいくらい。
(というか既に痛みがあることを「通常」だと認識している気がしている)
なのでここはま「痛み」をなくすことに専念する。
ただし、歩いているだけだと心肺が衰えるので、バイクを購入。
色々調べた結果、こちらが良さそうなので即購入。
うちの奥様からは部屋が狭くなるので「絶対嫌」と言われていて、ベランダでやりなさいと言われている。(トランポリンやら通販で買ったよくわからんものはあるのだが)
まぁなんでもよい、これでタバタ式やるんだ。ふふふ。
一番良いのは走ることのみで鍛えたいが、こうもガラスの足では仕方ない。
試行錯誤していたら左足は治ったので、右足も治ると信じてる。
そのためには故障の原因を解明し、元を取り除く。
ついでにちゃんとその時を見据えて準備をしておく、これに尽きる。
さて、とはいえもう一つ精神的に厄介な案件。うちの次男君。
どちらかというとこちらの方が悩みが深い。
相変わらず学校へは中々行けない。行かないのか、行けないのか。
このあたりがわからない所がもどかしい。
もどかしい要因は今の仕事をどうするか。これが一番の要因。
サラリーマンとしてばっさり切られることは日本的システムではないと思うが、
さすがにそろそろ居場所はなくなりそう。。
ん、というと実は自分自身の要因が一番なのか!?
などと考えていて、頭がぐるぐる回っている日々。
今日の朝もコンビニ帰りにぼーっと考えてたが、結論はやはり「息子を信じる事」。
これしかないのかな。
人を信じる事はこれまでも第一に考えていたが、今までは何となく結果は見えていた。
よほどのことがない限り、結果を裏切られることはなかった。
ただ今回はそもそも信じたところで本人の目指すイメージが分からない。
あくまでもイメージしている結果は自分の描いている理想の姿。
しかもそれは特に「今学校行く」とかいうそんな近視眼的な話ではない。
あくまでも「将来生きていける力を身につけ自立すること」。
なので学校生活は単なる通過点である。
この生活をするときにも理解していたつもりだが、やはり焦りは冷静さを失う。
やはり自分自身との戦いだ。
「信じる事」。これも色々もがいて、あがくことが必要。
待っていてもダメで行動しないと結果は見えてこないもんなんだな。
そう考えると少しだけすっきりした。
とりあえず嫌いな病院(足の治療のため)にいってみよっと。